倫理・社会

私が高校生の頃は「倫理・社会」という名の科目があった(略して“倫社”)。言葉通り倫理学と社会学の分野の教科だ。
高校生の頃の私はこれを教科書レベルを超えて参考書(文英堂の∑ベスト)を熟読し、参考図書(主に岩波新書、岩波文庫の青帯、講談社現代新書、中国の思想シリーズ等)も多数読んでは、受験の枠を超えて勉強していた。
なぜかと言えば、優秀な成績で高校入試を合格した私だったが、今でいうPTSDにも似た体験で狼狽して受験勉強に集中出来なくなり、それを克服するためだった。
だから倫理社会だけは試験となれば毎回ほぼ満点かそれに近く、模試では、いつも校内1位だった。
中学生までは理数系のおぼっちゃま君だったが、高校卒業の頃は倫社と歴史で頭が一杯の鬱々とした青年になっていた。
高校を卒業した後は予備校など行かず、あばら屋に住み倫社と近代史での読書と思索の日々を過ごしていた。だがおかけでPTSDと似た事は完全に克服できた。
(当時、全く一人で生きており、悩みの相談にのってくれる人など誰もいなかった。だから私にとって倫社の参考書には相談相手、今の私の召喚書ような気持ちがある。だから今も手放すことが出来ない。↓)
倫理社会

その後、倫社で勉強したことをバックボーンとして、手塚治虫先生のようなストーリー漫画家になりたいと思った。それで10か月ほど投稿で頑張ったが、入選出来なかった。だから才能の限界を感じて漫画家は諦め、無職2年目(2浪?)の11月下旬から受験勉強して翌年私立医大に合格した(当時は入試は易しかった)。

医学部は3年生から勉強三昧となり医師免許取得後は猛烈に働いた。そのため倫社関係の本を読む暇が無くなった。

年月は流れ52歳の時、ずっと信頼していた某先生(50代事業主)に裏切られたと分かり、訴訟しか解決法がなくなった時、迷わず本人訴訟を選んだ。
法律の条文なんか知らない。しかし自分が正義と思うことを書面にして、某先生に思いを直接ぶつけたかった。

これが地裁では訴状と第1準備書面の頃は拙劣過ぎて、裁判官から「弁護士さんをつけたらどうですか?」と諭され、相手側の弁護士も当初は「原告さんは・・・」等と小馬鹿にした態度も取っていたが、だんだん上手く主張できるようになり、結果的に1000万円超で勝訴した。高裁では多少減額となったが、やはり1000万円超で勝訴し確定した

裁判の書面を書きながら思ったのは、『これは倫社の筆記試験だ。倫社で通用することを主張するのだ。』と、古の勉学を思い起こした。

この思いを深めたのは、続く小規模個人再生事件での地裁で敗訴(相手の認可)後に出した即時抗告が高裁で認められた時だった。高裁の判決で「原判決を取り消す」「本件を東京地方裁判所に差し戻す」との主文を読んだ時は感涙した。
そしてこれが相手の弁護士の抗告で最高裁で争われても、裁判官5人全員の意見の一致で私の主張の方が認められ、原々審差し戻しの、過去に例のないトピックとなった。

上記は実は即時抗告の前に法律事務所2軒に相談したが、1軒からは「無理。」と言われ、もう1軒も「こういうのは初めてで、分からない。」などと言われ、過去に私と同様な案件で即時抗告が認めれた事件は無いはずとのことで、絶望的な気分にもなった。しかし書面提出時は『倫社的には私の方に正義がある。これは信義誠実の原則に沿うものだ!』との願いだけは持っていた。

今は、『法律とは倫社(倫理学と社会学)で捉えられるもの』と私的には思っている。
だから法律の条文に具体的にどう書かれてあるか知らなくても、こんな感じの条文があって、解釈もこういう風にあるはずとの前提で書面を起している。
訴訟とは私にとっては、倫社で考えるところの闘いなのだ

~~なおΣベストの倫理・社会は、下記の構成をとっていた。~~

第1編 「現代と人間 」
・  第1章 現代社会の特質
・  第2章 社会集団と人間形関係
・  第3章 人間形成と青年期

第2編  「人生観・世界観」
・    第4章 思想の源流
・    第5章 思想の発展
・    第6章 現代と思想
・    第7章 日本の思想

第3編 「思索のために」

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